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祈指団弾談

盲目的信仰ではなく、謙虚さのみを唯一の信仰として理解と理解の輪を広げてゆくネット最終宗教

サルと人間の違いは 前に進むことができるかどうかだ。(5日目)

というタイトルにしました^^。

今日は、

このプログ本来の内容を中心に続けます。おっと今日はここから行改正ができない状態となってしまいました?今日は日曜日ですが「ブックマーク」を調べる時間が取れなかったところ、それどころではないpc問題がいきなり出てきてしまいました。この形のままではさすがに「はてなブログ」を続けることは無理なのかな?とふと、今弱気になってしまったところです。そうそうこれだけ書いておきましょう。上の今日のタイトルには「人間なら前に進むことができる」と書いているのに何を弱気になってるの?と言われそうなところでしょうからね^^。人間がサルから深化した時にそのサルの脳にはどんな変化があったのか?という事なのですが解りますか?本当はこの進化の過程を書いてゆくとかなりの紙数が必要なところなのですが、一番重要な点は物事を見つめる能力がサルの中に宿るようになったという点なのです。「見つめる」ことが出来るから、物と物を比較していいものを選んだりして反省という機能が脳に加わり人間は進歩という価値を手に入れてきたわけですよね。本当はこのあたりのことで一番人間にとって大事な点は、感じる世界をも見つめる能力をむしろ太古の人たちのほうがはるかに持っていた点なのですが、それを書きだすと最低何日分のブログ内容となるので、ここでは「「反省し進歩できる」」という能力について、軽く補足しておきたいと思うのです。比較するものが見えるからこそ、その違いを考察してその、繰り返し反芻するようにして何が正しい答えか見えてきて、判断と反省とかが可能となり、そうして初めて人間は進歩という宝物を手に入れたというのが、簡単に言えば私のその辺の考えの主軸なのです。今日もpcのこととなってしまいますが^^、pc理解がこの68歳の老人にとって進みにくいのは、あるいは進歩が遅いのは、比較する以前に、一つ一つの画面の中身の意味が見えてないため、考えようも進みようもないためです。基本をどこかで学ぶ必要があるという推理はごく普通に考えれば解りますが、その時間が効率的に取れないため、もちろんその努力はしていますが、こうして今の今このハテナでの問題を解決できないでいるということです。すみません、こんな行改正のできない状態での文はこれ以上は読みにくいでしょから、今日はここまでとさせていただきましょう。今日、それなりに書きたかったことは、人間の感性の部分、それさへ「見つめる」ことが出来るようになり、それさへ進歩できるようになれば、宗教の宗、つまり人間にとっての本当の普遍的根本、人間の指針、生きる目的が見えてくるということです。そして人間であれは絶対その真実をどんな誰もつかむことができるはずなのだという点でした。今日はこんな形になってしまいましたが以上とします。