祈指団弾談

盲目的信仰ではなく、謙虚さのみを唯一の信仰として理解と理解の輪を広げてゆくネット最終宗教

運命との闘い?

過去のすべては、当たり前の話ですが、

変えることはできません。

 

どんな知恵者も、どんな天才もです。

 

なので、変えることができない「運命」

として「過去」という存在を

わざわざとらえる考え方もあるかもしれません。

 

もちろん、それは別に意味ない^^ということは

論理的には誰でもわかりますよね(-_-;)^^。

 

でも、これ、感性の世界では、

例えば恋人との出会いなどのときに、

 

それは「うんめい」だった^^と感じたり、

感じたかったりすると(-_-;)^^おもうのですす。

 

そのへんは、ここではおいておきま笑。

 

ここは、論理的に、

 

では

「過去」ではなく、

 

「今とこれから」という

私たちの努力で変えることのできる世界での

「運命」との関わり について考えてみましょう。

 

確実に死が誰にもやってきてしまうこと、これは

確かに変えることのできない「運命」ですよね。

 

それとおなじように、これは過去からのものでも、

あなたが知らない間に、この大地に生きていて、

 

今まで生きてきて、

まだ生きているというのも、変わらない「運命」

ですよね。。

 

確率というのもありますが、これもこのへん

おもろいのです^^。

 

車の運転をしている人なら解りやすいですが、

信号待ちをしている場合など

 

渋滞が確実な状態である十字路渋滞のような

状況を別にすれば、

 

信号での渋滞は、必ず、その信号信号で、

一日や、その時間帯での

 

渋滞の車の信号までの数はある確率で

一定していたりします。

 

だいたいですが、この信号は「5台以上は

渋滞しない」といったふうにです。

 

なので、そこで6台前に車がいたとしても

ああ、あそこの信号までだなと直感的に

安心したりゆとりを持つことができるのが

 

確率的に物事を見る見方なのです。

 

車の運転の場合、そういう場面が多いので

気持ちにゆとりを持てる考え方の一つになります。

 

揺らぎはあるわけですが確率も、この場合

「運命」と考えることができるわけです。

 

揺らぐ「運命」です。

 

交通事故に出会う確率、

病気にかかる確率、

人に騙される確率、

 

これらは、避ける努力で大幅に変えることができる

可能性がある世界ですが、

確率は、存在し続け、

 

そのかぎり揺らぐ「運命」ではある世界だからです。

 

そして、実は、

そこまで広げて考えても、

論理的には「運命」とは、ほんとうに

 

人間の力では、

どんな知恵者も、どんな天才も、

 

変えることのできない存在、

変えることのできない人生の流れ

 

そのことを指して私たちは「運命」と呼んでいるはずなのです。

 

つまり「運命との闘い」は、それ自体が

本来、論理的にはあり得ない世界なのです。

 

「運命を変える努力」にしても、全く同じことです。

 

そんなことは最初からありえない^^ことなのです。

 

なのですが、私たちは、その「運命」の真っただ中で

変えることのできないその流れの真っただ中で、

 

ちゃんと息をしたり、このブログのようなおもしろい

ためになる、心の栄養を与えれくれる読み物を読んで

いられたり…、…、している間は^^

 

変えることができる可能性があることは、

どこまでいっても

変えることができる可能性でありづづけている(-_-;)わけですす。

 

よく言われる「運命を変えましょう」という

感覚的なこの励ましは、

別に嘘とは言えないのですけどね^^。

 

だって、これは、本当は「運命内の代えがたいけど変えることのできる部分を、大きく変える法則」をともかくも語らんとしているものだからです。

 

占いも、もちろんあの手相占いも同じくなのですが、その辺少しいい加減だったりもしますよね^^。

 

また円融のココロが運命を変えるとかいうのもけっこう考えると奥が深い「運命を変える」法則であったり闘い方であったりもするわけです。

そのへんは抽象的でありつつ、結構力強い方向性だったりします。

 

でも、時間が無くなったので最後に書いておきますが、

のブログやアメブロの「こ、こげな宗教哲学世界中を探してもあり円」に書かれていることは、

 

そこが具体的にまで追及されているので、いいですよね(^^)/

 

ととと、時間となってしまいました。

 

では、今日はこの辺で♪