いつか死んでゆく私たち人間の大地や意識は、夢まぼろしと変わりないのか?
この疑問は、
私自身が、体験した
子供の頃「とある大人からのいじめ」で体を壊し、虚弱体質となり、なんども死線をさまよい、沢山の病気にもかかり、すっかり病弱となっていたときに
病弱な状態の人によくある
睡眠中の大量の夢の記憶から生まれた疑問でもあるのです。
あまりにもいろいろな夢をたくさん見ましたので^^
その話自体も面白いのですが、
ここはその辺象徴的な特筆すべき夢のみを
掲げておきましょう。
実話の夢のお話です^^。
ある朝私は眠りから覚め、起き上がり歯を磨きに洗面所に向かっていたのですが、
そのとたん、はっと気が付くとそれはまだ夢の中であり、
やっと今度こそ布団の中で目を覚ましたので、
おもむろに起き上がり歯を磨きに洗面所に向かっていたのですが、
そのとたん、はっと気が付くと、目が覚めて^^
今度こそ目が覚めたと思って、起き上がり、
今度こそ歯を磨きに洗面所に向かって歩き出し
洗面所で歯を磨いていたら
はっと気が付くと目が覚めたばかりで、
私はまだ布団の中にいたというお話し。
なんと、これが延々と続く夢をみ、み、みたことが
ほんとうにあるのですすす。(嘘がテーマとなっている文からこちらに来ているの信じてもらえないかもしれないですけどね^^)
そのうちに、その夢の中でなのですが、
とうとう歯はとっくに磨き終わり、
さらには昼近くまで起きていたのに(夢の中でです)
そこはっと気が付くと、それもまた夢の中だった!
という夢からやっと覚め、
起き上がってまずは歯を磨きに
という繰り返し!!!!!
もちろん、だんだんだんだんだんだんと
私はゆめのなかでであっても、
恐怖でいっぱいになってきたのです。
夢から覚めてもそれはもう信じられず、
私は必死で目を開けようとしていました。
笑い事じゃなかったです。
歯を磨いてるときも朝食を食べているときも
必死になのですが、
目をががぐわわっと必死で開けよう開けよう
としていたのです。
その努力のかいあって、目が覚めるときもあり
ましたが、
たいていは、今度こそ本当に目が覚めたと
安心したとたん、目が覚めることが多かったですす。
もちろん安心してください、
とうとう本当に、たぶん十何回目かだったと思いますが
ちゃんと
ちゃあんと目が覚めたからこそ、今までこの大地に生きてきて
69歳の今、これを(自分で笑いながら^^)書いていられるわけです。
ともかく、こんな夢を見てしまえば、さすがまだ小学5年生の子供でも、
夢と現実の違いって何なのだろうと考えてしまいます。
どこがどう違うのだろうぅってです。
それは、本当に目が覚めてみれば感覚的に本当に安心できる違いも感じられるのですが、
その数か月前までは、死の床を何度もさまよっていた私には、
人間もいつか死んでしまい意識がなくなってしまうのであれば、
この意識、この大地も「夢と違いはないのではないか」という考えが当然起こってしまいます。
この死のぎりぎりの体験も、こんな強烈な特徴的な^^夢の体験も、さすが強烈でしたので、
子供ながら私は、それなりの答えをまるで哲学者みたいに考えざるを得なくなっていたのです。
また中学生までには、さすが重要な答えのいくつかを見出しています。
1つには、
夢の中では反省したり、したがって進歩したりできない、という点です。
夢の中の意識は、見つめるという人間が獲得した能力がはがれていて、夢の中の映像なりにとりこまれ流されきっている状態だからですが、
その辺も、考察すると面白いところ、ここではこれ以上の深追いはしません。
詳しくは、
アメブロ「こ、こげな宗教哲学世界中を探してもありえん」のほうでの小テーマで「夢」について扱う時まで^^待っていてください。
実は夢現実の違いで重要なことは、いくつもあるのですが、
中学生までに気が付いたことの中で重要な点がもう一つあります。
睡眠中の夢の中では、これはあたりまえのことでもあるのですが、
「「友達がいない」」という点でした。
どんなにリアルな友達の映像を夢の中で見ても、そこにいるのは「私」の中の映像に過ぎず、
そこにはこの大地に生きている友達がいるわけではないという点なのです。
私は当時、ありとあらゆる悪夢も楽しい夢も見たので、なおさらそのことは強烈に私の心に入ってきたのですが、
幻想や夢の中には、他の人がいない、現実の大地には他の人がいる、友達という大切な存在もいるのがこの現実という大地なのだという点、
そして、夢を見ないで、幻想に惑わされずにこの大地をしっかり人間的に、友達を大切にする方向で生きる事こそ、その方向で反省し進歩してゆくことこそ、そう努力して生きる事こそ
この現実を生きる事なのだ。
それが夢との違いだ。
という結論に達しているのです。
実は健康であれば、とくに心身ともに健康であれば夢はみません。
心から健康であれば、そこには争い無ければ、嘘もなくなります。
太古の大自然の中に生きていた人達は夢なんてみなかったでしょう。
そしてよし何かの病気の時に見た夢も、それはただただ、あまりにもはっきりした豊かで愛情あふれる現実との違いから、私のような夢との違い何て考えようもなく、その違いははっきりと意識に感じられていたことで笑。
ほんとうは、人間と人間が愛し合っていれば、それが夢との違いその物の意識に生きているという事です。
考えるまでもなくわかることであるわけです^^。
死の問題は本当は奥が深いです^^。
宗教哲学自体はまだまだ必須なので笑。
ですが、深い愛に、深い信頼に私たちの意識が包まれるとき、
死もまた、
愛という名の、他の人への愛という名の、
他の人の命への感謝という名の、
そういう大地に包まれてゆくそういう最後の体験
となりえるということ、
ここまでは、簡単ですが今日お話ししてみたかったことなのです。
では、きょうはここまでです。
以上にて♪