祈指団弾談

盲目的信仰ではなく、謙虚さのみを唯一の信仰として理解と理解の輪を広げてゆくネット最終宗教

いきなりネット機能音痴老人が、ハテナに来てblogを、3日前から始めてしまったわけですが、

実はパソコン音痴に加え、

グーグル地図が私のパソコンからはほとんど見えない白紙の状態なのですが、

それと同じようなうっすらとしか見えない画面上でなんとかかんとかこれを書いています。

他の人もそうであれば「はてな」の問題となると思われますので、これは私のパソコンの問題でしょう。

 

あらためてプロフィールを書く場所も見つかったのですが、まだ反映されていません。

また右上のその場所?には、別なところに書いたはず?の文が載っています。???

 

ここは、やはり、もう少し右往左往してみた後に、さすが最初からすべてを編集し出発しなおした方がよさそうですね^^。

 

情熱を重視してあえて無計画な即興の筆をこととして始めたものなのですが、

カテゴリーの有意義さはわかりますし、

むしろ先に行っては大いにそのへんを変革してゆくつもりではいます。

でもそれですと、すでにまずタイトル?のあたりが使い方が間違ってますね^^。

 

ここは、それなりの内容のものは続けながら、正式に始める前に実験に次ぐ実験、たくさんの失敗もしておく体験が必要のようです^^。

すでにこの画面自体が変なことになってます^^。

下にスクロールするために左端の黒い長方形^^が動かないのです。

これ自体やりなおしかも^^。

 

一応コピペしておいて、だめなら再挑戦ですね^^。

 

一応、今日も続きとして、もし読まれている人がいればそれなりに有意義であれますように、

「祈指」につながる簡単な自己紹介を続けておきましょう。

 

 

これはプロフィールでも、さきほど自由欄のようなところに少し記した内容でもあるのですが、まず今日はここから書き始めてみますね。

生まれつき盲目で耳も聞こえないヘレンケラーに言葉を教えたサリバンのお話は聞いておられますよね。

私自身はその有名な映画を観なかったのですが、

サリバンという教師が子供の頃、一時気の触れた状態となったことのある人であることを聞いています。

実は、私も、

とある都会の小学校でとある先生からのいじめによる恐怖症から神経がおかしくなりはじめ、やがて通学電車の中で2度ほど気の触れた状態にまでなぅてしまったことがあります。

それは意識を失った状態ではなくて、本人はむしろはっきり覚えている記憶になってますので、私にはそういう時の意識の世界が実体験として理解できることになったわけです。

ここでは、その最初の「あちら」^^のお話しをしてみましょう。

私は突然、電車の中の人たちの足をぼんぼん踏みつけながら走り回り始めたのですが、

ともかくその意識の状態は、まったく普通の状態の意識ではありませんでした。

 

2回目も詳しくお話しすると解りやすくなると思うのですが、それは動物が恐怖におびえてる状態の脳内の意識とも言えるものだったのです。

その間は苦しいわけでも何でもなかったのですが、それが

はっ!と気が付いた時がみじめでした。

今自分がどうなっていたのか、ちょうど解る年頃でもあったからです。

詳しくお話しすると物語みたいでおもしろいところなのですが、

 

ここでは、その状態の記憶だけもう少しお話しておきます。

 

 

今となっても忘れられない鮮明な記憶の世界の一つです。

 

 

まず、ほとんどの人が私を「見て見ぬふり」をしていたのを想い出せるのです。

そしてさらにリアルな記憶なのですが、ただ一人だけこちらの目をのぞき込んで笑いかけようとしていたご婦人がいたのですが、その笑いかけようとしていながらひきつった顔さへ想い出せるのです。

 

おそらく動物の意識や脳にも記憶があるようにです。

 

 

 

すみません、ここまでで、昨日も書いているこの場所がおかしなことになってしまい、今日はさらにひどくなってしまいましたので、途中ですが今日はここまでとさせていただきます。では、こんな状態ですが、まだなんとかハテナをクリアーする挑戦心は消えてませんので、明日も、この続きを除きに来てみてください^^。笑い事じゃないですけどね。ではまた明日。